大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所尼崎支部 昭和50年(ワ)444号 判決

主文

1  被告は原告に対し金五万円及びこれに対する昭和五〇年一〇月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを一〇〇分し、その九九を原告の負担、その余を被告の負担とする。

4  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

1  被告は原告に対し金五〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年一〇月二一日(訴状送達の翌日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

(請求の趣旨に対する答弁)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  (当事者及び訴外香の関係)

原告は神戸市○○区に所在する○○○○株式会社の代表取締役、被告は東京都内に本社を有する有限会社○○○○○○○○○○事業部(神戸市○○区所在)の責任者である。

原告は、昭和四九年七月五日、○○市立○○センター結婚部の紹介を機縁として訴外香(旧性川村)と婚姻したが、同訴外人はそれより前、同四三年七月頃から、被告の妻美智子(香と従姉妹)の世話で右○○○○○○○○○○事業部に事務員として雇傭されていた。

二  (本件不法行為に至る経緯)

ところで、原告が最初に香を紹介され、見合いしたのは昭和四八年七月二一日であるが、その後婚姻を前提として交際を継続し、同年一〇月頃には双方ともほぼ婚姻の決意を固め、翌四九年二月には婚約、同年四月七日結納をおさめた。

これより前、被告は、香を雇傭して間もない頃、同人に対し情交を求めたことがあつたが、同人はこれを峻拒した。けれども、被告はその後も引続き執拗にこれを求め続け、昭和四三年八月頃香は結局否応なしにこれに応じさせられた。そして右のような関係はその後、数年にわたって続けられていた。

しかし、香は原告と交際を続けるうち、原告との婚姻を決意するようになつたので、右見合いの頃より被告に対し右事情を告げ、従前の関係の解消を求めた。これに対し、被告は依然として右関係の継続を迫り、香の願いを拒絶した。その後前記のとおり、香は原告と婚約するに至つたので、被告に対しこれを契機に従前の関係の一挙解消を強く求めたが、被告はこれに応じないだけでなく、暗に原告との婚約の破棄を勧奨し、剰え原告への発覚を怖れる香の弱身に乗じて、引続き情交関係を迫ることを止めなかつた。

三  (被告の不法行為)

1 被告は、前記婚約成立後も香に情交を迫り、その都度目的を達していたが、原告が香に結納をおさめた昭和四九年四月七日以後においてもなおこれを継続することを止めなかった。この間、香は、原告への背信に苦悩し、且つ被告にその苦衷を告げ、被告との関係解消を従前にも増して強く求めたことはいう迄もない。原告と香との右婚約成立(結納)後被告が香と情交した日時・場所は次のとおりである。

〈1〉 昭和四九年四月一二日

神戸市○○区○○町×の×

○○ホテル

〈2〉 同月二〇日

神戸市○○区○○町×××

○○モーテル

〈3〉 同月二七日

尼崎市○○○×丁目××-××

○○○ホテル

2 また、被告は、原告と香との婚約成立後も同人と前記情交関係を続けながら、他方原告が右関係に疑念を抱いていることを聞知するや、昭和四九年五月頃自己の勤務先附近喫茶店において、原告に対し、あらぬ疑いをかけたと称して威嚇的言辞を弄し、且つ原告を告訴する旨脅迫した。

四  (被告の損害賠償責任)

いう迄もなく婚約とは将来婚姻を締結しようとする当事者間の契約である。したがつて、右婚約成立と同時に、原告及び香は相互に貞操の保持を求める権利を有するのは勿論、右婚約の事実を知る第三者が右権利を侵害した場合は、被侵害者からその責任を問われるのは当然である。本件の場合、原告と香が昭和四九年二月婚約したこと及び被告が右事実を香から告げられて認識していたことは既述のとおりである。それ故、従前の被告と香との関係は別として、少なくとも右婚約成立時以後は、原告との関係においては、被告が香に対して情交を求め、且つこれを遂げることは不法である。被告が右不法行為によつて原告に与えた損害について、原告に対しこれを賠償する義務を負うことは当然である。また、被告が昭和四九年五月頃原告に対し威嚇的言辞を弄し、かつ原告を告訴する旨脅迫したことが不法行為に該当することは明らかである。

なお、凡そ権利なるものは、親権・配偶者相互間の権利のような親族権であると、物権・債権のような財産権であることを問わず、何れも他からその権利を侵害されることのない対世的効力を有し、何人も、これを侵害することのできない消極的義務を負担しているのである。この対世的権利不可侵の効力は、権利の通有性であつて、独り親族権がこの除外例であるいわれはない(大審判・大四・三・一〇・刑録二七九頁)。具体的に婚姻の予約を侵害した第三者の責任につき、大審院判例もこれを肯定している(大審判・大八・五・一二・民録七六〇頁)。もつとも、右事案は、〈1〉既に婚姻予約者双方が、内縁関係にあること〈2〉第三者(男性)が婚約者の一方(女性)に一子を挙げさせたこと、において本件とは事情を異にするが、内縁に至らない婚姻予約(狭義の婚姻予約)が法律上の保護を受けることは明らかであり、一子を挙げたかどうかが権利侵害の成立に消長を及ぼさないこともまた明らかである。

五  (原告に生じた損害)

原告は、被告と香との前記関係を全く知らないまま、昭和四九年七月二一日神戸市内において、双方の親族、知人、有力財界人の祝福を受けて、盛大な結婚式をあげ披露宴を催した。因みに、原告は、同四七年一月三日亡妻礼子と死別し、同人との間に長男洋一(昭和三二年七月二三日生)及び長女智子(昭和三三年一一月六日生)があるが、香と婚姻するまでは、右二児を自らの手で養育していた。また香も離婚歴を有していた。

原告は香と結婚後、ふとしたことから、同人と被告との前記関係を知るに及んだ。それによつて原告が受けた衝撃が如何に激甚なものであつたかは、敢て論じる迄もない。まず香との間に深刻な亀裂を生じるに至つたが、それは当然に二児を含めた家庭全体に波及し、感じ易い長女は一時自閉症に陥り、時には両親殊に香に反抗して学校を無断欠席し、拒食を続ける等したため、原告は悶々の日々を明け暮れし、ために高血圧症、中心性網派絡膜炎に罹患し、現に静養を余儀なくされている。右のような家庭内の煩悩が事業活動にも敏感に反映したことはいう迄もない。原告は現在も香との離婚を真剣に考えている。しかし、それは家庭の破壊を招き「二児の将来をより一層不幸にすることが明らかであるし、また自己の社会的体面、会社の信用の保持、更には香及び同人の老母の不幸等を考慮すると、離婚の決意もとかく鈍り勝ちとなり現在に至つている。

原告はかねて被告に対し、少なくとも香との婚約成立後の情交関係についての謝罪を求めた。しかし、被告は右関係のあつた事実については認めながらも謝罪についてはこれを拒否した。そこで原告はやむなく、昭和五〇年四月二二日神戸家庭裁判所に慰藉料請求の調停を申立てたが、被告の応じるところとならず、同年九月四日不調に帰した。

原告が被告の前記各権利侵害により被つた精神的損失は、本来的にはとうていこれを金銭の多寡によつて評価しうるものではない。しかし、敢てこれを金銭によつて償いを受けるとすれば、自己の社会的地位・年令・家庭破壊の実状・苦痛の度合及び被告の地位・収入・行為の態様・行為の時機等を総合して考えると、金五〇〇万円を下ることはない。

六  よつて、原告は被告に対し右損害金五〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する答弁)

一、請求原因一の事実中、被告の職業、原告と香が婚姻したこと及び香が○○○○○○○○○○事業部事務員であつたことは認めるが、その余は不知。

二、請求原因二の事実は否認。ただし被告と香との間に合意で昭和四三年八月頃から昭和四八年一二月頃までの間、月一回程度の肉体関係が続いたことはある。しかし、香が、昭和四八年一二月二八日被告に対し、クリスマスに原告家庭に招かれたことを話し聞かせたので、被告は香が原告と婚姻を前提とした交際を始めたことを感じ取り、香の将来を考え、その後の情交関係を断絶した。

三、請求原因三の事実は否認。

四、請求原因四は争う。

五、請求原因五の事実中、神戸家裁で調停があり不調になつたことは認めるが、その余の事実は不知。原告は、香との婚約後情交関係があつた事実を被告が認めた旨主張するが、かかる事実は全くない。なお、被告が香の婚約を同人から聞いたのは昭和四九年四月下旬のことである。香は原告から結納を受領したことを被告に伝えたことはない。

第三証拠

(原告)

一、甲第一ないし第三号証を提出。

二、証人高山香の証言及び原告本人尋問の結果を援用。

三、乙第一号証の成立は認。

(被告)

一、乙第一号証を提出。

二、被告本人尋問の結果を援用。

三、甲号各証の成立は不知。

理由

一  (当事者及び訴外香の関係)

請求原因一の事実中、被告の職業、原告と香が婚姻した事実及び香が○○○○○○○○○○事業部事務員であつた事実は当事者間に争いがなく、証人高山香の証言及び原告本人尋問の結果によると、その余の事実が認められる。

二  (当裁判所の認定した事実)

証人高山香の証言、原告本人尋問の結果及び被告本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く)を総合して考えると、〈1〉香は昭和四三年七月有限会社○○○○○○○○○○事業部に就職したが、その後程なくして同事業部責任者の被告と情交関係をもつようになり、この関係は継続されていたこと、〈2〉この関係継続中、他方で香は原告と見合いをして交際を続けていたが、同四九年二月明確に原告と婚姻する決意を固めてその意思表示をし、同年四月七日原告から結納現金三〇万円とダイヤ指輪)を受領して正式に婚約したこと、〈3〉被告は、香の右正式婚約をその翌日には知つたが、右正式婚約後(但し、婚姻前)、請求原因三記載の日時・場所において三度香と情交関係をもつたこと、〈4〉同年五月五日頃被告が原告宅に電話したことを契機に、原告は、被告と香との関係に疑念をもち、その疑念を香・香の母・被告の妻等に対し表明したところ、それらの者からそのような不純な関係はないと断定的に否定されたため、それが邪推に過ぎなかつたと考え直し、自己の軽率な言動を謝罪するため、同月中旬頃、ケーキを手土産に持つて被告事務所を訪れ、同所近くの喫茶店で被告と会つたこと、〈5〉その際、被告は原告に対し、原告の疑念が真実に合致していたにもかかわらず、香との関係について事実無根の疑いをかけたと称して、原告を非難し、捜査機関に告訴するといつて原告を脅迫したこと、〈6〉原告と香はいずれも初婚ではなく再婚であつたこと、がいずれも認められる。被告本人の右認定に反する供述は、証人高山香の証言に照して採用できない(〈3〉の事実に関する証言は、証人高山香にとつて非常に不利・不名誉な事実についての証言であるから、同証言が虚偽であるとはとうてい考えられない)。

三  (不法行為の成否)

1  結納後の情交

原告は、前記〈3〉の行為、すなわち右結納授受(正式婚約)後被告が香と情交関係をもつた行為が、原告に対する不法行為になる旨主張する。しかし、婚約とは将来婚姻をするという当事者の予約(合意)であり、婚約当事者は互に誠意をもつて交際し、婚姻の暁には夫婦共同体を成立させるように努める義務を負つているとはいうものの、婚約当事者が互に相手方に対し婚姻当事者(夫婦)と同様の貞操義務を負つているとは解されない(そのような行為が、他方当事者による婚約の一方的解消のための正当事由になる場合があることは別個の問題)から、被告が香の結納授受(正式婚約)前約六年前から継続して来た同女との情交関係を、右〈3〉のとおり香の結納授受後に行つたとしても(未だ同女は原告と婚姻していなかつた)、原告に対する不法行為になると考えることはできない。もつとも、婚姻の成立を妨げる目的で、婚約の一方当事者を誘惑してこれと情交関係を結び、その結果婚姻の成立を不能ならしめたような場合には、その情交関係が債権侵害として婚約の他方当事者に対する不法行為になると評価されることがあるとは解せられるが、被告の場合は、婚約の一方当事者と婚約数年前から持続してきた情交関係を、婚約後婚姻前の期間に行つたに過ぎず、婚約も履行されて婚姻が成立しているのであるから、婚約後の情交行為が婚約の他方当事者(原告)に対する不法行為になると解することはできない。原告の引用する判例は、婚姻当事者(夫婦)と同様の地位に立つと解すべき内縁(準婚)関係当事者に関するものであつて、本件の如く純粋の婚約関係当事者に関するものではないから、これと同様に考えることはできない。

2 被告の非難・脅迫行為

前記二〈5〉において認定の被告の行為は原告の人格権(精神的自由ないし精神的平穏)に対する違法な侵害であり、原告はこれにより精神的損害を被つたと認められる。原告及び被告の社会的地位・行為の態様・被害の程度を考慮すると、原告の右精神的損害に対する慰藉料としては、金五万円が相当と認められる。

四 (結論)

以上の事実によれば、原告の被告に対する本訴請求は損害賠償金五万円と、これに対する昭和五〇年一〇月二一日(訴状送達の翌日)から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例